碧の武庫川に赤い機関車と青い客車 - 1983年・福知山線 -
こんばんは
38年前、まだ昭和の頃。
非電化で大阪駅までこんな手動ドアの旧型客車が乗り入れていた福知山線。
宝塚を出てすぐ次の生瀬を過ぎたら武庫川の渓谷に沿ってゆっくり走っていました。
列車本数も日中は1時間に1本くらいのローカル線。
今はJR宝塚線。
新しいトンネルでずど~んと山をぶち抜いて
電車が1時間に4~5本もびゅ~んと走っていて
この川沿いの線路も今はハイキングコースになっているとか。
1983/3/25 武田尾→生瀬 740レ DD51+旧型客車
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明日であの日から26年。
JR宝塚線の新線に乗ったのはあの日から1週間くらい経って、JR宝塚線~神戸電鉄で三田や有馬口をぐる~っと回って新神戸へ抜けられるようになった頃。
4日間、会社の被災地応援で新神戸へ行った時の記憶は未だに鮮明。
そして、私の勤め先の会社は関西のオフィスを縮小したので、多い時は週1回以上だった大阪出張も全くなくなり…
関西がとお~くに感じられるように変わってきた26年でした。
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by kogechatora | 2021-01-16 22:13 | 関西地区 | Comments(2)
乗っていたらこのような光景は見れず、ただこの渓谷を車窓から見るのが楽しみでした。
今はもっぱらハイキングで・・・・お気に入りのコースになっています。
もうあの震災から26年・・・・完全復活した神戸の街
でも毎年変わらず東遊園地での追悼式は、遺族の方々悲しみの深さを感じます。
あの年に生まれた子供が今や26歳・・・・ふわ~っ(+_+)私も当然の歳に。
遠くなってしまった関西・・と言わず、機会あればまたお越しくださいな。
この渓谷をハイキングもいいですよ。
この渓谷を見ながらのんびり走る列車は、トンネルを突っ走るピカピカの通勤電車に変わっても、渓谷の眺めは変わっていないのでしょうね〜
今の職場にも…あの日がなければ…あの日で人生が変わった…と嘆く人はたくさんいます。
震災の7年前、今の会社に入る前の内定式も神戸でした。内定式でふわんと酔った後、初めて会った同期入社になる仲間と異人館をお散歩したことを思い出しました〜