昭和59年 - 東北本線・1984年 -
こんばんは
今日の画は昭和59年の秋。
昭和天皇・皇后両陛下の福島県ご視察のお召し列車。
1984/9/25 蒲須坂→片岡 EF5861+御料車1号編成
(画をクリックすると大きな画が開けます)
上の画の数時間後、
福島に向かった列車から切り離されて
東京へ戻ってくる機関車、
架線柱の位置まで中途半端な構図ですねぇ…
単機回送とわかっていたんだから
超望遠で圧縮するか、別の場所で真横から撮ればいいのに…形式写真にもならないいい加減な撮り方。
今から思えばあまりにももったいない…
1984/9/25 片岡→蒲須坂 EF5861
(画をクリックすると大きな画が開けます)
昭和が終わって平成に代わり
平成も間も無く終わろうとしています。
2000年対応の日、2000年1月1日の大騒動、たぶん日本中で多くのコンピュータ屋さんがマシンの前で年を越したことでありましょう。
私もその一人。
サーバーの前で年を越す前にサーバーの電源を落として
年が明けたらサーバーを立ち上げて動作確認して~なんてことをしてました。
来年の5月もきっと仕事場で夜を明かす事でしょう。
その前に新しい元号を印刷したり画面に出せるようにプログラムを直さなければならないのに、まだまだ新元号が決まる気配がないですねぇ。
元号だけじゃなく消費税の税率も同じことですけど
全てがコンピュータ仕掛けの今日この頃、
プログラム直してテストして~なんて時間が必要なのに
政治屋さんの頭の中にはそんな事なさそうですねぇ。
どたんばで残業いっぱいでばたばた…働き方改革に逆行してますよ~
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ぶどう色の機関車と
特別な客車の組み合わせ。
いつか、また走る姿を見たい組み合わせでありますけど
叶わぬ事なのでありましょう。
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迫力ある汽車も
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by kogechatora | 2018-01-21 00:20 | 東北本線(直流区間)など | Comments(10)
お召し列車の撮影、時間待ちしてらっしゃったのですよね(^^♪
素晴らしいなあ~(^_-)-☆
そして2000年の時もお疲れ様でしたm(__)m
来年の5月、なるほど~です、早く元号が決まるといいなあ~
ちなみに義弟も同じお仕事だと思います♪
こんにちは。
お召し列車。そして 2枚目も惹かれます♪
特に 2枚目には物語を感じます。
以前申し上げましたが、長男も IT業界。
新社会人にも関わらず、今月は 長野、石川、大阪、沖縄、広島、愛知と日本各地を飛び回っています。
懐かしい響きですね
最も、私は一度もお目には掛かっていませんが
昔、母は、このての話を、面白可笑しく話して聞かせました
お召し列車が・・
通過するまで、頭は下げたまま・・なんてね
だから、誰も、列車を実際には見てなかったって(笑)
フルムーン旅行などと言われた、公式行事ではない行幸。
お召本務機への国旗掲揚を決めた国鉄本社に大きな感謝でした。
この日は悲しき業務で、私は61号機を撮影できずED75の担当でありました。
が、翌々日は磐西ED77お召撮影後に東北道をぶっ飛ばし、下の単機の作品と同じ場所で61号機牽引上りお召を撮影いたしました。
もう34年も前の話なんですね、懐かしい作品をありがとうございました。
年号、早く決まってくれないと全国のシステム屋さんが不幸になっちゃいますー
IT業界…というと、コンピュータに向かって黙々…のイメージですけど、実態は人とコンピュータを結びつけるのがIT業の役割。
日本各地を飛び回って、いろんな人や価値観に触れることが最高の教材と思いますー
今思えば、昭和の終わりが近づいていることを予感させる行幸でありました。
翌々日のこの場所の上りお召の画、あまりにも素晴らしく。
磐西から駆けつけて、踏切横のお立ち台に上がっておられたのですね。
この画の翌日、磐西でED77を撮っていますけど、往復ともED75は撮っておりません…たぶん、当時の鉄な人の傾向として、ED75のお召がいちばんの希少画でしょうか。