雪と輝く煙 - 2011冬・真岡 -

逆光に光る白煙、蒸機は雪の残る坂道を登っていきました。

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2011/1/16 茂木→天矢場 6002レ C1266+50系客車

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あの日から16年経ちました。
あの日の約1週間後、会社の応援要員として行った新神戸・三宮、そこで見た光景は忘れられません。

全てのビルが傾いた三宮も衝撃的でした。
両側から倒れた建物のがれきに埋もれた路地も衝撃的でした。
多くの方々が亡くなりました。

でも、幸いにも身体も家も助かった後で待っていたのは、インフラが破壊された不便さでした。
水の出ない生活、お風呂もトイレも不自由な生活。
鉄道が寸断された生活。大阪から神戸へ行くには、福知山線で三田へ、三田から神戸電鉄と地下鉄を乗り継いで新神戸へ。新神戸から先は徒歩の世界。
道路は渋滞して物流便の到着時間は全く予想できず。

今、自宅にいる時、会社にいる時、地震が来たら、自分はどうなるでしょう。
建物の下敷きにならずに助かったとしても、電気水道ガス公共交通が途絶えた中で、家に帰れるのか、帰ったとしてシャワーや洗濯はトイレは。。。。会社にいたら食糧は飲み水は。。。

この16年間で備えは進んだのでしょうか?
国・地方公共団体では、そして私個人は、あなた個人はどうでしょうか?
16年の時間、備えを進めるのではなく、体験の風化が進んだだけに感じられるのは私個人だけでしょうか?

by kogechatora | 2011-01-17 22:45 | 真岡鉄道 | Comments(4)

Commented by アンギュロン at 2011-01-18 20:09 x
神戸・・・震災の日の朝。
僕は社員旅行で関空からハワイへ旅立つ予定でした。
JTBの計らいで急きょ福岡からの便を手配をしてもらい
ホノルルへ向かったのですが
いまでも深く後悔しています。
現地のホテルで知った神戸の惨状・・・。
旅行どころではありませんでした。
Commented by くろくま at 2011-01-18 21:01 x
たなびく白煙がステキですね。

あの日、ぼくは何していたんだろう。
ニュース映像を食い入るように見つめていたけど
結局、何もしてあげられなかった。

人の不幸って、限りなく身近な人でなくっては分からない。
そう、痛感した次第です。
Commented by kogechatora at 2011-01-18 22:39
アンギュロンさんも忘れられない日になっていたのですね。

私は5日間だけでも、大阪千里の会社の研修施設から福知山線・神戸電鉄を乗り継いで片道3時間かけて、神戸で店舗応援として水や下着のワゴンセールに行って、ほんの微力ながら某かの働きをしたことで気分的に救われています。
暴力団が無料で炊き出しをしたのに、スーパーやコンビニは金をとって売っていた、なんて非難もありました。
でも、1パック500円のイチゴに、避難所ではフルーツなんて手に入らなかった、と喜んでいただいたことや、下着も好みに合うものがあった、と言っていただいたこと。For the Customers という言葉を改めてかみしめることが出来た時でした。
Commented by kogechatora at 2011-01-18 22:39
くろくまさん 私も神戸入りは震災1週間後のこと。当日は昼も夜も呆然とテレビを見ていました。

そして、東京でこんな地震が起きたらどうなるんだろう、と思っていました。そのとき自分は助かるんだろうか、助かったとしたら、その後、被災者の中で自分は何が出来るんだろう、自分はどうなるんだろう、と真っ暗な不安を感じていました。
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